實相院の縁起

實相院とは

古谷上の實相院の由来は新編武蔵風土記稿によると、「かつて古谷上の地域は古谷上村といわれ、川越城の東一里(約4キロ)ばかり隔て荒川の辺にありて、古尾谷庄にかかれり、この辺を三芳野の里あるいは稲荷の里ともいへり。古谷本郷灌頂院の末寺なり。寶命山多聞寺と称す。開山幸了、本尊は弥陀を安ず。境内に嘉元4年の古碑あり、ほかに2~3枚あり皆読みがたし。鐘楼、弁天社、観音堂2か所あり」と記され、また入間郡誌には「開山幸了と称するは天正5年領主の中筑後守が古尾谷八幡宮を再建せし時の僧なれば古き寺跡なるを知る」旨が書かれております。

寺伝によりますと慶安年間(1648~51)の古谷村地誌の記録には、實相房と記されており、房とは子院を意味するものです。子院とありますが、上記の通り當院は古谷本郷の灌頂院の末寺で比叡山延暦寺を本山とする天台宗に属している寺院であります。本尊には弥陀三尊。中央に阿弥陀如来。右に観音菩薩。左に勢至菩薩が安置されております。その他には祈願本尊として不動明王像。星の信仰として知られる妙見菩薩像(鎮宅霊符神)。また弁天社に安置されていたと考えられる弁財天像も祀られております。

創建は江戸時代の初期か、室町時代後期と考えられていますが、江戸享保年間(1741~43)と安永年間(1772~80)の2度にわたる火災により寺院の貴重な記録等の全てを焼失した為に不明となっております。15世纂隆(さんりゅう)により天保年間(1830~43)に堂宇を再建したと伝えられています。

また實相院の大きな特徴は歴代の住職・僧侶たちが地域の子弟の為に寺子屋教育に力を注いできたことです。古谷地区を中心に地域社会で大人子供に文字の読み書きを教えることに大きく貢献してきたとされております。現在隣接している、川越市立古谷小学校の前身は當山實相院であり、小学校正門前にはその歴史を記した石碑が現在でも残されております。はるか昔より、この田畑に囲まれた古谷の地にて、仏事だけではなく地域社会とともに歴史を重ねてきた實相院。街中の賑わいはありませんが四季折々の美しい自然に囲まれたこの場所にて皆様のお詣りをお待ち申し上げております。  合掌

天台宗寶命山實相院 第26世 髙栁亮伯

實相院の概要

宗派天台宗(本山 比叡山延暦寺)
山号寶命山(ホウメイザン)
寺号多聞寺(タモンジ)
院号實相院(ジッソウイン)
本尊弥陀三尊
開基幸了和尚 (開基年 不詳)
住所川越市古谷上4266-1